新年最初の夜明けを祝う「初日の出」。この風習にはどのような起源があるのでしょうか。また、なぜこれほどまでに祝福される象徴とされているのか。
ここでは、初日の出の意義と、ご来光との区別についてご説明します。
初日の出を見る理由や意味は?
初日の出を見る理由や意味を一言であらわすなら、「新年の幸せを祈るため」と言えます。ご存知の通り、初日の出とは1月1日の日の出を指し、新年最初の夜明けを意味します。
お正月特番のバラエティやドキュメンタリー番組で、芸能人たちが地平線や水平線から顔を出す初日の出を拝む様をテレビで視聴したことがあるでしょうか?初日の出は古くから吉祥とされ、歴史を通じて親しまれてきました。
しかし、なぜ初日の出に際し太陽を拝むとされるのでしょうか?その理由は、新年の夜明けに初日の出と共に年神が出現すると考えられていたからです。
年神とは、高い山から降りてきて、各家に幸せや豊かさをもたらすとされる存在です。昔の人々は、祖先が山や川の神々となり、子孫の繁栄と幸福を見守る年神になると信じていました。
さらに、日本には太陽を拝む「太陽信仰」という宗教的な側面も存在します。伊勢神宮に祀られている天照大神は、多くの神々の中で最高神であり、太陽そのものです。
農耕民族の日本人にとって、作物を育てる温かな太陽は神聖なものでした。こうした背景から、初日の出は年神の訪れを祝い、太陽を神聖視する意味合いを込め、見て祈る風習が生まれたとされています。
発端丈山登頂から初日の出 pic.twitter.com/Dsl9y2PVws
— ブシドー (@wing_diver) December 31, 2018
ご来光と初日の出の違いとは?
言葉としては「ご来光」と「初日の出」はともに太陽に関連する用語ですが、具体的な意味にはそれぞれ異なる内容が含まれています。
一言で言い表すと、この二つの違いは「観測する場所」と「特定の日に限定されない」という点です。「ご来光」とは文字通り高所、主に山頂で観賞する日の出を指します。この用語は、観賞する場所によって使い分けられているわけです。
また、その由来を詳しく見ていくと、「初日の出」が年神様が家々を訪れるという概念や、太陽を神聖視する太陽信仰に根差しているのに対し、「ご来光」は仏教の教えに由来します。
具体的には、人が亡くなった際に阿弥陀如来が光り輝く輪を持ちながら迎えに来るというイメージを表しており、そのため「御来迎」との表現も用いられることがあります。従って、「ご来光」は仏教に起源を持つとされます。
両者には共通して「特別な、ありがたいもの」とされる認識があります。かつては高所といえば山が一般的でしたが、今日では飛行機などのより高い場所からご来光を拝むことが可能になっており、SNS上でもそのような投稿が目にされます。
山を登らずともご来光に出会える現代の便利さに触れることは可能ですが、あえて山頂を目指す行為そのものに価値を見出し、多角的な視点から人々の価値観や感情を探っていけるかもしれません。
今年初ご来光🌅
実質初日の出() pic.twitter.com/6URcgrDOhl— あきら (@akira_ap1) October 11, 2024
初日の出のルーツは?
初日の出が流行したのは、江戸時代とされ、その後全国に広まったのは明治の時代に入ってからであるとされています。
そのルーツとなるのは、「四方拝」という皇室の祭祀です。四方拝は、平安時代に始まったと伝えられる宮中の祭りで、毎年元日に行われ、天下の泰平と豊穣を祈る儀式です。
この儀式では、属星、天地の四方、そして山陵に対して祈りをささげ、陰陽道に基づき、星や四方位の世界観、自然への敬意を示し、四方の神々の幸福を祈願します。この祈願儀式が、現在の初日の出を見る習慣の原点であると言われています。
このように、日本には多くの習慣が皇室の儀式に由来しており、初日の出意外にも、年末の煤払いや大掃除といった慣わしも皇室の風習と関連があるとされています。
もし興味がおありでしたら、これらについてもぜひ調べてみてください。
新年の幸せを込めた初日の出の拝み方
新年を迎える富士山麓でも、大勢の人々が夜明けと共に新たな年の初めを祝います。この風習には、一年の始まりと共に訪れる年神様をお迎えし、家族の幸福と繁栄を祈願するという意味が込められているのです。
また、ご来光という言葉は、山頂などの高地から拝む日の出を指し、特に元旦に限らず使われます。自然の美しさを前に、新年の希望を込める風景です。
新しい年をどなたとどのような場所で迎えますか?全国には初日の出の名所が点在しており、その地域ならではの特色を楽しむことができます。ネット検索や地域の広報誌を参考に、ぜひ足を運んで新年の訪れを感じてみてください。